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近世までの庶民にとって、八丈島や三宅島は流(る)人(にん)のための島であって、それより南方は未知の海域だった。僕が向かっている島々には、小笠原貞(さだ)頼(より)という人物によって、文(ぶん)禄(ろく)年間に発見されたという伝説がある。小笠原の存在は江戸幕府には知られており、延(えん)宝(ぽう)年間(十七世紀後半)には詳細な地図まで作られていた。仙台藩士の経(けい)世(せい)家(か)、林(はやし)子(し)平(へい)は『三国通覧図説』(一七八五)の中で、蝦(え)夷(ぞ)地(ち)や琉球などとともに、小笠原の地理も紹介しており、同書は半世紀後に仏語訳が出ている。
ところで、小笠原諸島は欧米では、Bonin Islandsとも呼ばれていた。これは日本語の無(ブ)人(ニン)がなまったものとされる。長らく放置されていた島々に、捕鯨で立ち寄ったアメリカ人やハワイ系住民が住み着いたのを知った幕府は、あわてて八丈島の島民らを移住させて、小笠原が日本固有の領土であると主張した。ただし、諸外国から領有が認められたのは、『三国通覧図説』の仏語訳のおかげともされ、正式に日本領となったのは、一八七五年(明治八)のことである。在住していたアメリカ人らは日本に帰化して、欧米系日本人の先駆けとなったのである。
わが国の歴史の中で、長らく日本の支配が及ばなかった境界まで、僕は来てしまったことになる。しかし、まだ航海は三分の一も済んでいなかった。
上空には細長い筋雲が、水平線には入道雲が広がっているだけなのに、強風で吹き飛ばされた雨が、前方から斜めに降ってくる。船は今、黒潮を横切って風(かざ)上(かみ)に向かってひた走る。左右に引き裂かれた海水は、怒号を上げて白いしぶきをまき散らす。いくら眺めていても、大洋の真ん中では、眺めは変わり映えしない。しかし、一つとして同じ形の波はない。
シャワー室へ移動した。どこと言って変哲もないのだが、ソープで泡立ったお湯が、船の揺れで左右に波打ち、たまったところで一気に排水溝に流れ込む。一方、トイレの方は、水を節約するための工夫がされていた。用を足した後、便器の蓋(ふた)を閉めてスイッチを押すと、真空の力によって流されて、掃除機が大きな物を吸い込んだような音がする。
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