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ふたたび、シーカヤックに乗り込んだ。境浦の先にはやっと通れるほどの水路があり、正面からすうっと入っていくしかない。かじがうまく取れない僕らは、カヤックが磯にぶち当たるばかりで、なかなか通過できなかった。バックして方向転換して、ようやく抜けたところ、断崖の上に野生化したヤギの群れが見えた。白と黒のまだらのヤギで、野生でも鳴く声はメーメーだ。
海洋センターにたどり着いた。そこではウミガメの人工繁殖が行われており、生け簀(す)の中には巨大なメスが飼われていた。その子供たちが今、小笠原の海を泳ぎ回っているわけか。また、ザトウクジラの調査などもされているらしい。
僕らはまた、海上に出ていた。母島丸の見える辺(あた)りは、枝状のサンゴがびっしり生息している。ただし、多くは茶色がかった灰色で、一部が青みががかっているだけ。沖縄の石垣島で目にしたお花畑とは、ほど遠い感じである。今回の旅では、母島に渡る時間的な余裕はない。
オールとオールを重ね合わせて、ちょっぴり休憩した後、一気に扇浦までこいでいく。断崖の上に掘られた四角い穴は、すべて戦時中に掘られた壕なのだそうだ。コンクリートを使わないトーチカで、そこから銃撃戦が想定されたわけだ。実際に米軍の艦隊は小笠原沖に集結し、戦闘機による爆撃も行われたが、住民は強制疎開させられており、米軍が父島に上陸したのは、終戦後の九月になってからだったという。
ついに、シーカヤックのツアーは終わった。浜の上に引き上げ、救命胴着を外した。僕の気持ちは早くも、明日の冒険に向かっていた。弁当を作ってくれる店を探したら、パッションフルーツを二個二百円で食べさせてくれた。蜜(み)柑(かん)に似た味で甘酸っぱく風味がある。種ごとばりばり食べた。
ドルフィン・スィムに挑戦
ここで語ろうとしているのは、実は父島での体験ではない。僕の人生観を変えかねないような世界を、垣間見せてくれたのは海そのものである。行きの航海で目にした聟島の周辺で、ドルフィン・スィムを中心としたツアーが開かれる、ということを船内で知った僕は、多少の不安を抱きながらも無線の電話で予約をしていたのだ。ドルフィン・スィムというと、ちょっと聞き慣れないかもしれないが、要するに、シュノーケルを使ってイルカと泳ぐのである。
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