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誰かに聞かれて困るような話ではない。ましてや今この家にいるのは夏生一人だ。スピーカーモードにして話してしまっても問題はなかったはずだ。やはり、まだどこかで母とともに暮らしている感覚が抜け切らないのだろうか。
〈預かっているクリスタルの解錠でちょっと困ったことが起こってね……依頼主殿の都合がいいときに事務所に来てくれないか〉
「都合のいいとき、って言われても、そちらの都合だってあるんじゃ……」
〈ボクの方は今のところキミ以外の依頼を受けていないから、アポなしの客が来ない限りいつでも平気さ。まあ、そのアポなしの客っていうのも滅多に来ないんだけど〉
こちらの都合などほとんどお構いなしの縹の言い分に、夏生は少しかちんと来た。
都合のいいとき、という言葉は、相手に合わせるようでいて、その実そうではない言葉だ。いざこちらが日時を指定すれば、都合が悪いなんて言葉が返ってくることがしばしばある。
縹はアポなしの客が来ない限り、と言ったが、その客が突然やって来たらどちらを優先するつもりなのだろう。
「じゃあ今日の午後からそちらに向かうって言っても大丈夫なんですか?」
断られても当然の提案だった。連絡をもらってすぐで、この言い分はあるまい。自分でも意地が悪いと思える。自分で言ったことだというのに嫌悪が湧いた。
〈今日の午後かい? キミの都合がそれでいいならこっちは構わないよ〉
「え……いいんですか、突然のことなのに」
〈いいも何も、最初から大丈夫だと言っている。それに突然連絡したのはこっちなんだ。駄目だったら駄目な時を事前に言っておくに決まってるだろう〉
何を当然のことを、という調子で縹に返された。夏生は思わず面食らってしまい、これが対面ではなく電話でよかったと心底思った。
自分の常識は、どうやら相手にとって常識ではなかったらしい。いい意味で期待を裏切られ、夏生は縹の認識を少しばかり改めた。さほど年が変わらなくても、向こうは一人で生計を立てている分随分としっかりしているらしい。
〈よし、今日の午後だな。今日は終日予定が空いているから、具体的な時間までは結構だ。キミの準備が整い次第ボクのところを訪れてくれ。それじゃあ、また〉
ほとんど縹が言いたいことを言って通話を切ってしまった。
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