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その日はまるで朝顔を潰したかのような空だった。
バスの窓越しにそんな空模様を眺め、夏生(なつき)は溜息をひとつ零した。
バスの中の乗客は、夏生と老婦人、それと小さな男の子とその母親。男の子の「あれなぁに?」という問い掛けがぽつぽつと聞こえるような静かな車内である。
セントラルからバスを乗り継ぎ、郊外へ行くのはほとんど初めてのことだった。以前郊外に出たときは、学校が手配したバスに生徒全員詰め込まれるような形で赴いた。今日のように自分で乗り換えを調べ、バスを乗り継いでたったひとりで街の外に出るというのは多少の緊張を伴う。
道中の案内は、家を出るときにチップ――左手の甲に埋め込まれている極小の端末――に入力している。これに従っていけば目的地まで迷うことはまずない。そう分かっていても、夏生は見慣れた街から離れるにつれてそわそわと落ち着きをなくしていった。
バスの中は涼しく快適な温度が保たれている。なのに夏生の掌はじっとりと汗で湿っていた。見知らぬ土地、これから訪れる場所への不安。初めて会う人。様々な思いが胸に渦巻き、わっと叫んで吹き飛ばせればどれだけ良いことかと思う。
「お兄ちゃんはどこに行くの?」
「わっ」
急に声を掛けられ、思わず驚きの声が出た。窓の外の風景から目を離し、声のした方へと顔を向ける。するといつの間にか小さな男の子が通路を挟んだ隣の席に座っていた。
後ろの方から、「こら! 危ないから立たないでって言ったでしょう」と母親の叱咤が聞こえる。夏生は振り返って母親に小さく「大丈夫です」と告げた。
母親の元に返すためとはいえ、男の子を走行中のバス内で再び立ち歩かせるわけにもいかない。次の停留所までおとなしくしてもらうためにも、夏生がこの子の相手をするしかなかった。
「初めて行くところ。僕もどういうところなのかよく分からないんだ」
「初めて行くところに行くの?」
「うん。行かなきゃいけない用事があるから」
大人や同年代の少年たちと話すだけでも緊張してしまうのに、子どもの相手なんて上手くできるだろうか。
男の子は幼いだけあり、話す言葉は拙く、質問も夏生の言った言葉を繰り返すような形だ。とても会話と呼べるものではない。
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