Cry Lady Cry

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 カウンターの背後の棚にぎっしりと詰まったCDの中から、ビリー・ホリディの1枚を抜き出す。女性ジャズボーカリストとして名を残すシンガーだが、彼女が唄うのは憂いに満ちたBLUESだ。BLUESを『ブルーズ』と呼ぶ男ならば、彼女を聴いていない訳がないだろう。  哀愁を漂わせるビリーのハスキーボイスが流れ始めると、 「……この曲、覚えてます。車の中で、よく聴いた」 目を閉じたまま、彼女は呟いた。ビンゴだ。 「ひとつお伺いいたしますが」 「なんでしょうか?」 「貴女が手放したいと願っている記憶に関して、既に貴女は幾ばくかの涙を流されましたか?」  我ながら、妙な質問ではあると思うが 「……いえ、どうしてでしょうね。たまらなく苦しいのに、涙はほとんど出てこないんです」 答えてくれた彼女の声は、震えていた。 「誰も幸せにならない、いつかは終わりにしなくてはならない恋だって、覚悟していたからかもしれません」  恐らく流行りの『不倫』という奴だろう。いや、流行りだなどというのは失礼か。世間が騒ぎ立てるずっと以前から、道ならぬ恋に終止符を打ちたくて私の元を訪ねてくる者は多い。いわば大事なお客様のカテゴリーではある。  ほとんど泣いていないという彼女の言葉に腕が鳴る。その方が精製する『記憶の結晶』に、より『思い』を濃縮できるのだ。涙が枯れ果てんばかりに、泣き疲れた客から生み出した石は、それに比べると残念ながら貧弱で趣きも微妙だ。  人様の記憶を売り買いしておいて、好き勝手な事をと思われるかもしれないが、これも仕事なので許して欲しい。いや、多分に趣味の部分もあるのだが。  さあ、心踊る瞬間を始めよう。
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