第一章 美也子

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「透君、お父さんかお母さん、煙草吸ってるの見たことある?」  キッチンから、仲睦まじく……というより明菜の話の一方的な「聞き役」になっていた透にそう話しかけると、透は一瞬どきっとした表情になり。そしておおげさに、首をふるふると横に振った。 「あ、透君にはわからないよね、ごめんね」  美也子はその反応で、透も自分の親が煙草を吸ってるのを見たことがあるのだけど、子供心に「これはナイショにしておくべきこと」だと考えたに違いないと思ったのだ。しかしそのことで、美也子は更に複雑な心境になった。自分が「理想の家庭」だと思っていたこの家族、理想の夫婦像だと羨ましく思っていたご夫婦にも、ささやかではあるけれどこんな「秘密」があるんだと。  もちろん美也子が接しているのは柿崎夫婦の生活のごく一部だけなのだから、美也子の知らない一面があって当然なのだが。ご夫婦のどちらが吸っているのかはわからないけど、美也子や透にまでそれを隠し、ベランダの吸殻を片付けているということは、夫婦である「相手」にもきっと秘密にしているのであろう。やっぱり人と人とが一緒に暮らすのって、色々大変なんだろうな……。ほんの些細な隠し事ではあったが、これまで他人との付き合いが苦手で、柿崎家の家族と知り合ってそれがいくらか和らいだように感じていた美也子にとっては、改めてそう実感するような出来事だった。 「なに黙りこくってるの?」  満里奈にそう言われて、はっと我に帰った美也子だったが。 「うん、なんでもない、なんでもない」と、心の中の不安は口に出さずにいた。それは、満里奈に言っても仕方ないことだろうと思ったのだ。その、時。  ぴん、ぽーーーーん……  唐突に、玄関のチャイムが、やけにゆっくりと鳴り響いた。美也子と満里奈は一瞬顔を見合わせ、「誰だろうね?」と、どちらともなく呟いた。そしてまた、どちらともなく、「まさか……」と最悪の予想を頭に浮かべて、顔色が青ざめた。美也子は恐る恐る玄関に近づき、インターホンのボタンを押した。 「どちら様ですか……?」  美也子の問いに、答えはなかった。カメラの映像も、カメラの位置を意識してちょうどその死角に立っているのか、訪問者の姿は映っていなかった。美也子の不安は更に増幅され、少し強い調子で姿の見えない訪問者にもう一度話しかけた。
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