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「あの、柿崎夫妻は今いらっしゃらないので、何かご用でしたら用件をお伺いしておきますが」
それでも訪問者は少しの間沈黙を守っていたが、やがて一人の男が影のように扉の脇から現れ、そのままドアにへばりつくようにして、インターホンに呟いた。
「……いるんでしょ?」
「え?」
美也子は、先ほどの最悪の予想が当たっているのではないことを祈りつつ聞き返したが、残念ながらその願いは叶わなかった。
「満里奈。いるんでしょ、そこに」
美也子は思わず満里奈を振り返り、そしてその表情を見た満里奈の顔は更に青くなった。
「まさか……ほんとに?」
美也子は満里奈に、「どうする……?」と小声で囁いた。インターホンのボタンから指を離しているので、ドアの向こう側にその声が聞こえるはずはなかったのだが、それでも声を潜めずにいられなかった。満里奈もそれをわかった上で、『いないって言って!』と口パクと手振りで美也子にそう伝えた。
「あの、満里奈はここには、いませんけど……」
美也子が勤めて平静を装ってそう言うと、しばらくの沈黙ののち。いきなり表から、扉を「どん!」と激しく叩く音が響いた。
「ひっ……!」
美也子は思わずインターホンから後ずさったが、そこから押し殺したような声が、室内に漏れ聞こえて来た。
「わかってるんだよ……満里奈のシッター先に行ったら、誰もいなかったんだから。そういう時は、こっちの家にいるんだろ? わかってるんだよ、全部」
満里奈がさっき言っていた、他人の気持ちを思い図ることのない、冷たい口調。自分の主張をただ、相手に押し付けるだけの態度。漏れ聞こえて来た声の主は、明らかにそういうタイプの人間だと思えた。満里奈と、そして事情を察したらしい明菜のおびえた表情を見て、美也子は勇気を出してもう一度インターホンに近づいた。
「あの、失礼ですが、どちら様……」
がんがんがん!!
……美也子が言い終わらないうちに、再びドアを激しく叩く音が鳴り響いた。ノックのように叩くのではなく、それはまるで、ドアを力任せに殴りつけているかのようだった。
「わかってる、って言ったでしょ? それで僕が誰だか、満里奈にはわかると思うんだけど」
その後ひと呼吸おいて、今度は明らかに、満里奈ではなくインターホン越しの美也子に向かって、その声は呟いた。
「隠すとさ、ためにならないよ? 君にも、ね」
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