第一章 美也子

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 えっ? えっ? ……美也子には一瞬、何が起きたのかわからなかったが。それは、満里奈が扉の外から力任せに突き飛ばされたのだとわかった時、扉の影にいた男が、当たり前のように玄関へと入り込んできた。  その男は美也子が満里奈の話から想像していたのとは違い、決して粗野な感じではなく、どちらかというと「優男」といった風に見えた。背が高くスラっとしたヤセ型で、ストレートの長髪に眼鏡をかけ。バッグパックを肩にかけたその姿は、ぱっと見はひと昔前の真面目な学生のようにも思えた。それが、美也子の判断を誤らせた。さっきまで他人の家の扉を、ガンガンと力任せに叩いていたこの男だけど、その見かけから「話せばわかる」人物だと思ってしまったのだ。しかしそれは、大いなる勘違いだった。 「あの、あなた、いったい……?」  突き飛ばされ、玄関先に尻餅をついたままの満里奈の前に立ち。美也子は一樹に、そう話しかけたが。その問いかけは全く無視され、一樹はそのまま満里奈に向かって歩みよっていった。何この人、人の話聞いてないの? 美也子は少しいらついて、今度は一樹の右腕をぐいと掴んで「ちょっと……」と自分の方へ振り向かせようとした。その瞬間。  がつん……!  突然、もの凄い衝撃が美也子の右頬を襲った。何が起きたのかわからないまま、美也子は廊下に倒れこんだ。そして徐々に、衝撃を受けた頬に、鋭い痛みが走り始めた。それは今までに味わったことのない、痛烈な感覚だった。同時に、口の中に何かサビのような味が広がり始め、美也子は自分の口の中が出血しているのだと悟った。ここに至って美也子はようやく、自分が一樹に殴られたことがわかった。思いっきり、しかも、拳で。 「親に手を挙げられたこともない」ようなお嬢様ではなかったが、さすがに男の拳で顔を殴られた経験はなかった。その衝撃と痛みは、美也子をひるませるのに十分だった。 「さあ、おいでよ。いい加減、言うことを聞いてくれよ」  ドアを叩くのと全く同様に力任せに殴られた美也子を見て、怯えて尻餅をついたまま後ずさりしようとする満里奈の腕を取り、一樹は口調だけは優しげにそう話しかけた。「やめてよ!」その手を振り払おうとする満里奈にも、一樹は自分の拳をお見舞いした。がつっ……! 鈍い音が響き、満里奈は唇から血を流しながらパタリと倒れた。 「やめ……」
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