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つい同調してしまいたくなる気持ちを引き戻すのは、エネルギーがいった。けれど、三谷さんの発した一言をきっかけに、自ずとあるべき立ち位置へと戻ることができた。  母親に「いい子」だと思われたい、と彼女は言った。  その気持ちに共感することはできても、私には同意することができなかった。  限られた診察時間の中では掘り下げられなかったが、そもそも「母親が嫌いだということ」と「いい子か否か」ということは別の評価軸だ。  そこを混同してしまうのは、おそらく三谷さんが母親から暗黙のメッセージを受けとっていたからだろう。 『いい子でいれば、愛してあげる』  母親たちは無自覚に、娘たちに呪いをかける。娘たちは愛してほしくて、易々とその呪いにかかる。けれどいつの日か、娘たちは母の思う「いい子」ではいられない自分に気づく。呪われた娘たちのとれる道はそう多くはない。その行き着く先を、この診察室でいくらでも診てきた。  不意に、昨日の怒りが喉の奥にざらついた感触で蘇ってきた。思わず奥歯を噛みしめ、宙を睨む。すると、記憶の反芻を断ち切るように診察室のカーテンが開いた。 「あれ、千鶴先生。いたんだ、ごめんなさい」  臨床心理士の佐野が顔を覗かせた。 「いや、もう終わってるよ。大丈夫」 「よかった。お昼にしません?」 「行こう」  少し救われた気持ちで席をたつ。怒りはまた影を潜めたようだった。
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