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「……!」
その日の夕方、太陽が山の稜線に沈もうとする頃。白弥は五十鈴の気配がほんの僅かだが弱くなったのを感じ取った。
里で何かあったのか。白弥の胸中で不安が首をもたげる。
もしも五十鈴の身に何かあったとしたら――五十鈴が自分の前からいなくなってしまうなどということがあるとしたら……。考え過ぎだと思おうとしても、脳裏を掠めるのは悪い考えばかり。
嫌だ、と彼は初めて強く思った。
五十鈴がいなくなるのは嫌だ。初めてなのだ。しっかりとお互いの顔を見て、他愛もない会話が出来る相手は。自分を受け入れてくれた存在は――。
「……、!……」
白弥はゆっくりと、腰掛けている楠の枝葉を見上げた。彼の胸の内などどこ吹く風、と言わんばかりに、楠は穏やかに枝を揺らしている。
「……」
ひとつ頷いて、白弥は自身も里に下りることにした。五十鈴を迎えに行くために。
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