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それでも、彼はそれを察したのか、とてもゆっくり、緩やかに動き出した。その間に、私の中でも、急いで潤滑液の補充をしているのが判る。摩擦が緩む。ホッとした。
彼の背中に手を回して、彼の動きに合わせて声を上げる。気持いいからじゃない。相手を不安にさせないため。私は、横目で壁の安っぽい風景画を眺めた。行為自体はちっとも好きじゃない。早く終わってほしい。
額に、滴が落ちてきて、私は、はっと目を戻す。私の上にいる人の顔に。汗だ。
まるで痛みに耐えるような表情で、彼は私を見下ろしている。
ぱたぱたっと、汗がまた降ってきた。彼の動きが早くなる。私は全身を揺さぶられて、その衝動で声を上げた。麻衣、麻衣、と男は繰り返す。さっき私が教えた嘘の名前。
男の動きが止まった。びくっ、びくっ、という振動が、背に回した手に、身体に伝わってくる。
大きく息を吐き出して、彼は私の上に崩れた。重みが心地いい。
彼は、すぐに身体を引き剥がして、浴室に向かう。少し胸が痛んだ。
事後に、もう一度、強く抱きしめてくれる人もいる。ただ彼はそうではなかった。
さっさとシャワーをすませ、バスタオルを腰に巻いて出てきた。窓際のテーブルについて、タバコに火を点けた。こちらを見ようとしない。
私は、時間をかけてシャワーを浴びた。男の汗も、匂いも、すべて落とす。キスはしてなくても、歯も磨く。
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