帰還後、現実を探索する

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「チャレンジ、ですか。いいことかもしれませんが、厳しいかもしれません。自分の技量にあった職種のほうが企業様にも信頼されますし、こちらも安心してお仕事を提供できるのですが」 「経験、ですか」 「未経験歓迎ということもありますし、企業様とマッチングさせるのは私どもの仕事ですから安心していただけたらと。ただ、経験といっても神宮寺さんの場合は特殊です」 「ただ話すだけの仕事、だからですか?」  返答がすぐにかえってこない。郡司さんはひとつ咳払いをすると、笑顔をひきつらせた。 「そんな気持ちでマイクに向かってしゃべっていたんですか。営業先でクタクタになっているところで、浜渕さんや神宮寺さんの楽しい声を聴くだけで、明日も頑張っていけると信じていたのに。音楽紹介の時も、昔の曲を聴きながら、青春時代を思い返しました。自分の原点はこうだったんだって振り返る時間をもらえたんですよ。たとえその時間だけだとしても、一部分かもしれませんが、その一部がその人にとって言葉の宝物になるんですよ。……つい力が入っちゃって、申し訳ありません」  郡司さんは軽く頭を下げた。顔をあげ、まっすぐ見つめる瞳が、わたしの心の奥に鍵をかけた扉を刺激する。 「希望に添えるよう、お仕事をご紹介します。せっかくのイイ声なのに。もったいない」 「お仕事のご連絡お待ちしております」  応接室を出て、出入り口まで見送ってくれた。終始笑顔を絶やさなかったけれど、郡司さんの瞳からはどこか物悲しそうな淡い光を放っていた。  ビルを出て、公園に抜ける道を歩く。空を眺めてみても灰色の雲は空に張り付いたままだ。ビルの谷間を吹く生ぬるい風が、そっとわたしの背中を弱々しく押した。
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