帰還後、現実を探索する

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 夕方、コトコトという、鍋が小刻みに震えた音が台所から流れこんできた。鍋のふたをとると煮えた野菜たちのいい香りと湯気がたちのぼる。目頭があつくなった。湯気が顔にかぶったせいにした。 「アメンボ、赤いな、あいうえお」  鍋を火からおろし、久々に腹から声を出す。最近、口先だけしか声を発していなかった。リビングに戻り、本棚の隣に積まれた段ボールのガムテープをひきはがす。たくさんの本の中から、ボロボロになったアクセント辞典を引っ張り出す。空いたスペースから黒い四角いものが本の端から顔を出していた。段ボールを閉めようとしたが、中から取り出した。 「大切に使ってね」  てのひらサイズの黒い物体からはそんな声が聞こえたかのようだ。  いつも近くにラジオがあった。幼いとき、両親が買ってくれた小型ラジオがわたしの支えだった。夜、眠れなかったとき、真っ暗な部屋がラジオの音によって、一瞬にして明るく輝いているかのようだった。知らない音楽や知らない誰かが楽しそうに話しているのを聴いていると、こちらも楽しい気分になる。聴くだけでさびしい気持ちが薄まっていくのを感じて眠りに入ると、朝は元気に目覚めることができた。 「けっこう古いね」 「ああ、これね。お守りみたいなものなんだ」  仕事をから帰ってきた淳さんは、黒い物体を手に取った。ところどころ塗料が剥げ、伸縮アンテナの先がとれたてのひらサイズの小型ラジオだった。
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