宇宙船から帰還後のこと

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 東京にあるAMラジオ局のひとつである、ジャパンラジオは全国のラジオ局の中でも人気を博したラジオ番組が豊富である。土日、午後一時から五時までのワイドプログラム番組は平日の同じ時間帯とともに高聴取率だった。  大学一年の冬休み、ラジオ局のアルバイトがあると知り、応募するとアシスタントディレクターとして配属された。副調整室で、スタッフの人とメールやハガキ、CDの整頓をしていると、黒ぶちメガネをかけ、茶色のネル生地のジャケットに水玉の蝶ネクタイ、クリーム色のベストを着たおじさんが入ってきた。ただならぬ空気というか、オーラがそのおじさんから放出されている。スタッフの人たちは皆立ち上がり、あいさつをする。  キミが新しく入ったADの子だね、と笑顔をくれた。それが、ラジオキングともてはやされている、浜渕信之氏との出会いだった。キミ声がいいからさ、ちょっと番組出てみないか、と番組に出演することとなった。浜渕さんの隣で意見を求められたら話すだけのことだけだ。  しばらくして、番組宛てのハガキやFAX、メールを読むことを命じられた。リスナーからは応援のメッセージのほかに、浜渕さんの声の出演が少なくなったという苦情も届くようになった。ちょっとメッセージを噛んだだけで、クレームが入った。浜渕さんは終始にこやかで、それだけでありがたかったが、番組制作側はあまりいい顔をしなかった。  不況のあおりか、ラジオ広告収入が減ってきて、大々的に企画を打つことが困難になってきた。  大学卒業して五年たった番組改編期前の今年二月、番組終了が伝えられた。浜渕さんはとても残念そうだった。局の人に、他のラジオ番組で仕事はないか訊ねても答えはなかった。他の在京のラジオ局にかけあおうとしたが、すでにラジオ番組は決定されていた。東京に残って他に仕事を探そうとしたがなかなか見つからず故郷に戻る。もともとラジオで話す素質なんてなかったんだと、自分を責めた。浜渕さんのとなりにいることで自分も同じだと錯覚していたのだ。
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