仙人掌

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 彼女はおねだりが上手だ、と思う。いやその実それは、俺が彼女の要望に対して途方もなく甘いだけなのだが。  結局、俺の残りの高校生活は軽音部に所属して過ごすということが決定事項となってしまった。不本意だが、歌声が好きだとか甘い言葉を聞かされた挙げ句、少しでも一緒にいる時間が増えるかもしれないという希望的観測をちらつかされては背に腹は変えられまい。  もとより演劇部を辞めろ、というのは完全な本心だったわけではなかった。部活をすることで奪われる時間と、部活動と称して人のものに気安く話したり触ったりされてしまうことが問題なのであって、俺自身は彼女の舞台上での姿を見ることが楽しみの一つであるには違いないのだ。  そもそも、彼女を見つけたのは演劇部の舞台上でのことだ。中等部だった三年前、体育館の劇空間。その舞台に立つ彼女の姿に、俺は釘付けになった。  演目は“真夏の夜の夢”だったか。彼女はヒロインでもなんでもない名もなき町娘のような役どころだったけれど、一目見て、そして一声聞いて、俺は彼女が欲しくなった。  なぜそんなにも()かれたのかはわからない。とにかくその存在が痛烈に脳と心を支配して、彼女から目を離すことができなかった。  (あか)りの落ちた体育館で、ステージの上、俺の目にだけは彼女はありもしないはずのスポットライトをきらきらと一人、浴びているかのように見えた。神さまみたいだ、とさえ思った。今にして思えば、それはまるで憧憬(どうけい)のようなものであったのかもしれない。
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