第4章:母危篤

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第4章:母危篤

 安倍川の上流の右側に築かれた堤防は幅十メートル、高さ十メートル基底部三十メートルの台形で長さは一キロメートル程あった。これが隊員四名で、僅か二ヶ月の間に施工したのである。いかに重機とスクレパーの威力が凄いものかを物語るものである。  昼休みになると、茂は例の三菱重工製タイヤドーザーに乗り、川下に向って走って行く。  ステアリング操作は圧縮空気で右へ廻りたい時は、空気圧で右側のホイールにブレーキをかけ左側の車輪を回転させて右に廻る仕掛けである。直径二メートルを超す巨大なタイヤが前後に四つ、それに四メートル幅の巨大な排土板をウインチで上げ下げする構造である。まるで巨大な象の背に揺られているみたいで、茂はその感覚が大好きだった。  ゴロン、ゴロンと唸りを上げて、河原を走るとき茂は自分が神になったような錯覚を感じて爽快だった。浅瀬を探して対岸に渡り、作業現場に引き返して来ると、技官の乗ったジープが茂に向ってライトを点滅させた。                                                       ドーザをジープの近くに停め、車軸を伝って地上に降りると、 「内山君、電報だ。君の母上が危篤だそうだ……名古屋の本局から電話で知らせてきた。これから静岡駅まで送るから直ぐ仕度をする様に」  電報を見ると、姉からで 「ハハキトクスグカエレ ヨシ」とあった。夏に体調を崩していた母を技官の麻里と見舞ったが、まさかこのまま死んで仕舞うとは想像もして居なかった。  取あえず静岡駅にジープで送ってもらい、東海道線の下りに乗りこんだのが午後の四時だった。名古屋駅で名鉄線に乗り換え、鵜沼の駅に就いたのは六時を廻っていただろうか。普通なら美濃太田で越美南線にのり、加茂野で下りるのだが、母が呼んだのか茂は急いで鵜沼からタクシーに乗った。所持金は無いが、自宅に帰れば誰かが居る。タクシー代は姉か妹に借りればよいと判断し、車の振動に身を任せた。  自宅に帰ると、妹が飛んで出てきた。タクシー代を頼んで、そのまま近所のかしわ屋のおやじの運転する軽トラに乗り移り、隣り町の病院に向った。 《死なないで呉れ、俺が行くまで死なないでくれ……》  必死に神に祈る。病院の白い建物が見えてきた。 と、門の中から顔見知りの近所の人達と、哀れリヤ・カーに布団で包まれた母の遺体が運ばれてくる。
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