第4章:母危篤

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母の遺体だと認識はしたが、茂はそのまま院内に入っていった。   二ヶ月前に母を見舞った病室に真っ直ぐ茂は向った。 暗い部屋の中にシーツも剥ぎ取られた寒寒としたマットを載せた裸のベッドがあった。  暗く深い悲しみが押し寄せた。茂は床に膝まづき。ベッドに頭をつけて泣き伏した。 《母はここで自分の来るのを待っていたのだ。先ほど行き違ったリヤ・カーの母の遺体には母の霊魂は感じられなかった》母は息子との最後の別れを二人だけの部屋で執り行いたかったのだろう。  病院中に響き渡るような茂の号泣を、子供時代から茂を知るかしわ屋のおやじはどう思っただろうか、あの腕白小僧が自分の母をこれほど愛していたとは信じられなかったかもしれない。時折、ベッドに泣き伏す茂の肩を慰め顔に、さすりに来ては呉れたが、親子の別れを静かに見守ってくれた。  我にかえったのは、部屋に入ってから半時間ほどあとだった。母の霊魂は待っていた息子の魂に触れて安心して遺体に戻って行った気がした。  茂はかしわ屋の親爺と軽トラに乗り、今度はリヤ・カーに乗っている母の遺体を追いかけた。肥田川の辺りでそのリヤ・カーに追いついた。茂は車を引いている近所の人達に御礼を述べ、代わりにリヤ・カーのハンドルを握って歩き出した。 先ほどあんなに悲しかった母との別れが嘘の様に払拭されて、落ち着いてものを考えることができた。母は享年五五才、昭和三五年九月十三日のことだった。  まるで苦労をする為にこの世に生まれてきたような母の人生だった。父と会い、五人の子を産み育てて、死んで行った……。でも苦労はしたが、母はきっと楽しかったに違いない。若い時は東京で産婆さんの資格を取り、富山の大学病院で父と出会い、当時流行だった共産党員になり、エスペラント語を話し、戦後は病気の夫を養い、子を育て、力尽きて死んでいった。自分の使命を果たした満足感のようなオーラの燃焼が感じられた。 「あとは自分達でやるのよ……」と、言っているようだった。母の死を悼んで村の大勢の人が手伝いに来てくれていた。それが母の勲章のような気がした。 《御免ね。長男の俺が確りしていなくて……》茂はリア・カーの握りを強く引きながら心のなかで母に侘びた。 《仕方ないわね、貴方を生かす為には、外国に行くしか無いかもね……》   それが母の口癖だった。
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