第4章:母危篤

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 母と最後に会ったのは一月前の盛夏の頃だった。最初の「ハハキトク」の電報を受けて名古屋から麻里と一緒に駆けつけたのが例の病室だった。  やせ細りそれでも笑顔を返してくれた母、今生の別れとも知らず麻里との帰る時間を気にしてゆっくり別れを惜しむ事も出来なかった薄情な息子の自分……《何と俺は薄情な人間だろう、自分の事ばかり考えて、幾ら恋は熱病と言ったって、自分の母が死にかかっているのに、役所に帰る麻里の時間に会わせて病室を出てきてしまった自分……何故残って母の看病をしなかったのかと、今となって悔やむ茂だった。薄情な自分の仕打ちを心で侘びながら茂は病室を出たのを思い出す。  これから麻里を名古屋まで送っていかなければならない。大事な母との今生の別れとも知らず、麻里のことが気になってゆっくりと別れを惜しむことも出来なかった。そんな別れ方をしたから、母は自分を待っていて呉れなかったのだ。母の死に目に会えない親不孝を侘びながら、せめて麻里と母が一目でも会うことが出来たことを慰めと思った。 「茂さんはとても優秀で私達全員が期待していますのよ……」  麻里の話を聞いている母の目が嬉しそうに輝いて、目に力がこもっていた。今まで他人から褒められたことがなかった息子を建設省の偉い技官に褒められて、母は嬉しかったのだろう。  母の葬式をあたふたと済ませ、気がついたら、阿部川の現場に立っていた。母の死は茂を精神的に成長させた。大人の厳しさを悟り、無駄な感情や甘えを捨て去った。母の魂も一緒に連れて海外に行こう、母が一緒ならそれこそ気楽に海外に渡れる……そんな感慨もあった。誰もたよるものは無い。頼れるものは自分の肉体と頭脳、気力だけなのだと何回も自分に言い聞かせた。  十月になると訓練は静岡の阿部川から名古屋の築港に移り、パワーシャベルの実習と災害用ダンプの運転実習が始まった。  積載能力十トンのダンプに山盛りに土砂を乗せ、シャベルの底で押しつけ均すと重量はほぼ倍になった。空荷の時は人指し指で運転できるダンプが土砂を満載するとまるで石臼の様に重くなり、大きなハンドルを両手で握っていても地面のでこぼこにハンドルを取られて一瞬の油断も出来なかった。
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