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教授陣は建設省の専門技官が当り、建設機械整備・機械工学・保健・ポルトガル語研修・測量・建設技術等の学科と午後からは実技指導で内燃機関やパワーショベル、ブルドーザーの整備・分解など渡伯した現地で遭遇するあらゆる状態に対応出来るような訓練が組み込まれていた。
紅一点の女性講師は保健を担当する技官で白井麻里といった。
色白の瞳がぱっちりの、頬にかすかにそばかすの浮き出た、それが何とも色気が有って茂は一目で好きになった。年は茂より九才も年上で、既に結婚していた。
保健の時間が楽しくなった。ほっそりとした肢体、白い清潔なシャツの襟首から匂うような色香が立ち昇っている。その瞳を見る時何故か茂の胸は高鳴った。一寸受け口の下唇の厚い麻里の顔はやがて忘れられぬ存在となって茂の人生に懐かしい思い出を作って行くのだが茂は何らの予感も感じなかった。
青年隊は全寮制で、羽根という青年隊出身のOBが寮長のような存在で隊員の行動を監督していた。性格はやさしくにこやかに頬笑んでいたが、行動はきびきびして居て、戦前の軍隊の古参兵のように隊の規律を全員に教えこんだ。
隊の一番年長者は橘田という山梨の建設会社から入隊した男で、重機の経験が最も長くH組で黒四ダムの建設に従事したという超ベテランだった。
茂と同室になったのは長野から来た中島という二十四才の男で、航空自衛隊出身の空士長だった。後年、市谷の自衛隊の官房でノーベル賞候補となった三島由紀夫が割腹自殺を遂げた様に、進駐軍から押し付けられた平和憲法の九条の制約下では、軍人としての誇りも生甲斐も感じられないのかもしれないと、茂は思った。
中島は大人しい無口な男だった。容易に口を利かないが意見は明瞭に述べる男だった。茂とは一番仲良く交わった隊員である。
他に静岡から来た久保田や増田、焼津の山下、一番年下の角という男、都合八名だった。
朝六時起床、洗面後、宿舎の前の運動場に集合、近くの矢作川の堤防まで往復四キロの駆け足、それから体操。七時朝食。自由時間、八時半から教室で学科授業、十二時に昼食、午後一時から、実技訓練、重機械の整備・修理、午後五時終業、六時夕食、七時から九時まで授業、それから自由時間。風呂に入り、十一時消燈。
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