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毎週月曜日から金曜日までその繰り返しで、土曜日も正午まで学科授業を受ける苛酷な訓練であった。 土曜や日曜日に許可を得て外出し、門限の午後十時までに帰らないと、次週の外出は取り消しとなった。
戦後未だ十年の昭和三〇年代は集団を規制する鉄の規則が生きていた。
然しブラジル行きを自ら希望して入所してきた、目的意識の強い隊員達にはそんな事は問題にもならなかった。残り短い訓練期間内にいかに多くの技術を吸収するかを真剣に考え、互いに競争して技術の習得を競い合った。
驚異的な成果を訓練は挙げた。春秋二度の実習と称する四ヶ月間の訓練で先輩技師達と遜色ないレベルまで技術を習得したのである。
建設省所有の災害用十トン・ダンプトラックに、0,6m3のパワーショベルで崖を崩しながら土砂を山盛りに積み込む実習で、かかった時間は一分三十秒たらずだった。
トラックもブルドーザーもタイヤドーザーも自由に操縦出来、皆免許を取得した。整備や修理も実習で鍛え、一応どんな問題にも対応出来るようになった。
機械工学も機械図面や建設図面も理解出来た。広いブラジルの山野を測量する為に測量から計算、作図までマスターし、一般大学で四年かかるコースを一年の日夜の学習で制覇した。機械部品の罫書きから穴あけ・タップ通し・旋盤加工・平研磨、冶金工学等、一応の精密機械の作業経験を積み、現地での部品製作にも対応出来るような技術を身に叩き込んだ。人間はやろうと思えば何でも出きる。その例えが戦時中の、特攻隊や女子中学生や高校生の従事した旋盤工や精密部品造りの実績である。あの緊迫した状況ではやろうと思えば何でも出来たのである。
入隊して、僅か半年で十トンダンプの運転に習熟し、複雑なパワーショベルの操作はベテランの教官が舌を巻く技量だった。理論と実地を集中的に教育すればやる気があり、それに適性が伴えば四、五年の現業での経験が半年で習熟できるのである。
教官たちも本省の命令を受けて、試験で選ばれた隊員の教育に各地方建設局の威信と誇りをかけて全力を尽した。
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