幽霊三味線

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 想い人がいる。それは、世間の女としてみれば、微笑ましいことだ。しかし、身請けも決まっていない遊女が恋愛に興ずるのは、一種の自殺行為とも言える。  遊女という身分の上、会う男は座敷の客だ。上等な太夫と言われる遊女であれば、客がいくら金を積もうが、弾いてしまっても客が絶えないというのもあるが、多くは客を選ぶことを許されず、等しく尽くさねばならない。それが出来ずに贔屓するものは、贔屓を外れた客によってあらぬ噂や苦情を寄せられて、廓を追いやられるのが定め。  しかもそれは、まだましな方。厄介なのは男の方にその気がなかったか、心移りされた場合だ。 「客を選ぶような身分でもないのに、男を好けばろくなことにはなりやしない」 「幽霊三味線がそれをよく表しているでありんす」  幽霊三味線というのは、遊女の間で有名な怪談話で、文字通り遊女の霊が憑りついた三味線の話だ。  客の男が遊女と好き合って、同じ座敷を何度も過ごしたはいいものの、女遊びに親族の有り金をつぎ込んだ男が蔵に折檻されてしまった。遊女は、男が逢えぬ間も、そうとは知らずに待ち続け、物ものどを通らずにやせ細り、ついには彼宛ての詩を詠みながら三味線を抱きかかえて息絶えたという。  その三味線には彼女の未練が乗り移っており、男が出席した彼女の葬式の最中、線香の煙が立ち上るとともに三味線がひとりでに音色を奏で始めたという。  本来の話はそこで終わりなのだが、聞いてる者を怖がらせるため、廓の中に誰も触れない三味線が残っていて、それが真夜中になると独りでに音色を奏でるなどのサゲがつけられることもある。もわっとした熱気の残る夏の夜の講釈小屋では、人気の演目だ。 ―――― 惚れて通えば 千里も一里 逢わで帰れば また千里 ――――  それを思い出してぞっとしたのは、ふすまを隔てて、欄間をぬって聞こえる文彩の詩を枕に噂話をしていた廓言葉の女。よもや文彩はその幽霊三味線の二の舞になってしまうのではなかろうかと。くわばらくわばらと呟いてふたりは、そそくさとその場を後にする。
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