幽霊三味線

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幽霊三味線

 猫皮を張った三味線をばちで打ち鳴らし、小粋な音色を奏でる。  詠み上げるはかの有名な都都逸。高杉晋作が、江戸花街の情緒を謳ったものと謂れのあるものだ。 ―――― 三千世界の 烏を殺して 主と朝寝が してみたい ――――  女は、三味線とともに和歌や狂歌、都都逸を愛した。客からの指名が入らぬ昼間などは、こうして三味線を抱きかかえて詩を吟じていた。  人柄のある者からは、稽古熱心と褒めたたえられていた。  捻じ曲がったものからは、三味線が恋人などと揶揄されていた。  だが女からすれば、まわりの眼など詮無き事。自ら詩を詠むときは自己に陶酔する。他人の詩を詠むときは作者の胸中に思いを馳せながら、まるで独りきりの世界に入ったように興ずる。女は、その趣向に相応しい、文彩(あや)という名前を当てられた。 ―――― 廓で苦労を 積んだる夜具に まさる世帯の 薄布団 ―――― 「また、文彩の三味線が聞こえるよ」 「ほんに毎日飽きずにやるものやね。あちきは、座敷の上でさんざんやらされて、弾くのも聞くのも懲り懲りさね」  文彩のその音色は、よく廓に住まう遊女たちの話の種となった。なにせ、隙あらば独りきりの部屋から、欄間をぬって漏れ聞こえてくるのだから。  当の本人は自分ひとりの世界に入り浸り、いくら悪い噂話をしようが耳を貸さない。  そうと来れば、悪い方向にも良い方向にも、脚色されて話が大袈裟になるというのが女の常だ。 「でも、最近……、文彩の客取りも落ち目らしいよ」 「当り前さね。三味線弾いてる様子を見れば分かりんす」 「どういうことだい?」 「憐れでありんす。あの顔――好いた男がいるに違いないさね」 ―――― 逢うたその日の 心になって 逢わぬその日も 暮らしたい ――――  廓言葉を使う女は、文彩が自己陶酔しながら都都逸の中でも恋歌を選び出して吟ずる様を見て、そう勘付いたのだろう。見れば、頬がおしろいの向こうからほのかに紅く色づいており、想い人に慕情を寄せている様にも見える。
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