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『忘年会、楽しかった?』
臙脂のマフラーにキャメルブラウンのチェスターコート姿の謙さんは、そっと私の手を握る。革製の手袋は少し早いクリスマスプレゼントに、私が贈ったものだ。
(相変わらず楽しくはなかったけど、美味しかったです)
社内忘年会に顔を出したのは、数年ぶりだった。
若手の頃はそれこそ幹事だ、お酌だ、挨拶まわりだと、何かと役目が回ってきた。けれど、そこを過ぎればあとは惰性だ。適当に気を遣って、淡々と食事をして、気づけば隅の方でよく知らない他部署の職員と無言で向き合う年が続いた。
果たしてこの時間に意味があるのか、疑わしくなったので行くのをやめた。
そんな私が今年に限って参加したのは、ある意味自分に正直になった結果だ。
(やっぱり、ここの唐揚げは絶品でした……)
今年の会場の告知が出た瞬間、迷わず参加を決めた。それくらいこの店の唐揚げが好きだった。骨付きで大ぶりの唐揚げは、しっかり肉として鶏の旨みが詰まった逸品だ。店の売りである地ビールと合わせれば、夢心地が味わえる。
惜しむらくは、1人前6つ盛なことだ。一人で店に行っても、さすがに6つは食べきれない。ビールを飲んでしまえば、更にもったいないことになってしまう。だから、大勢でシェアできる機会を見逃すわけにはいかなかった。
だから、今夜は完全に唐揚げ目当てだったのだ。
『すごく、しあわせそうな顔をしてる』
(そりゃあ、しあわせですよ。ビールぐびぐび飲んで、唐揚げたっぷり食べて、うっとりしたまま帰ってきました)
うっとりしすぎて、そのあとの料理は食べずに帰ってきた。もういいのだ。会費は先払いだし、目的は達成された。誰に迷惑をかけるわけでもない。
(それに、明日は一緒にザッハトルテ作らないと)
この週末は、謙さんとケーキ作りの予定だ。そのための器材は彼のアドバイスの下、既に揃えてある。
『楽しみだね。今夜も、一緒に過ごせるし』
革手袋の指で手の甲を撫でられ、背筋が期待に撓る。部屋に戻ってからの蕩けるような時間を思い浮かべて、地下鉄への階段を踏み出した瞬間。
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