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 彼氏と別れました。  あの居酒屋で確かに私はそう言った。でも、それは誰かに近づいてくださいという合図ではなかった。忘年会の翌日、暗澹たる気持ちで私はベッドの中にいた。結局、コートを脱いだままの姿で風呂にも入らず、化粧も落とさず今に至る。 今は、指先に謙さんの気配がある。 (何処に行ってたんですか)  かろうじて毛布から出した指先で、謙さんの指を握り返す。謙さんは、困ったように笑って答えない。 (なんで、そばにいてくれないんですか)  昨日から何度目かの涙を流しながら、縋るように指を絡めた。私は毛布から顔も出せない。そのくらい現実(そと)が怖ろしかった。謙さんは何も言わない。ただ毛布の上からそっと頭を撫でてくれる。その感覚でようやく息ができた。覚えのある焦燥と不安だ。30が近づいた頃から、こんな風に身動きがとれなくなることがあった。  どう生きていけばいいのか、わからなくなるのだ。  惰性で付き合っていた彼と別れ、謙さんの手をとった。欲しいものがわかるようになって、何が自分のしあわせか思い出せるようになった。それまでは「仕事」、「結婚」、「子ども」。わかりやすいカードを集めれば、しあわせになれるような気がしていた。けれど、そんなものを求めていない自分に気がついた。  本当はひとりで生きていきたい。  今更、誰かを受け入れて生きていくのは荷が重すぎた。このまま謙さんと一緒に、彼に恥じないように生きていく方がよほど私らしく思えた。  それなのにまだ迷うのだ。昨夜の高木さんのように、選ばないと決めたはずの選択肢が現れただけで、簡単に気持ちは揺らいでしまう。ひとりで生きていけますようにと祈りながら目を閉じても、寄る辺なくて死んでしまいそうな朝が来る。思考の糸は縺れたまま、私の首をぎりぎりと締めあげた。 『茉莉の代わりに、茉莉の答えはだせない』  謙さんの優しい声が降ってくる。 『でも、ちゃんとそばにいるよ』  あたたかな掌の感触に、目を瞑る。ふっと雨の匂いがした。
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