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慶介は死んだ。ふらりとこの家を出て行ったまま、慶介は飲酒運転の車にはねられたのだ。慶介は悪くない。ただ、夜の交差点を歩いていただけ。ただそれだけのことで慶介は死んだ。
葬儀の日、雨が降っていたのだけはおぼろげながら覚えている。火葬のときも私は一度も泣かなかった。泣けなかった。それから私は、この家に帰って、慶介をひたすら待ち続けた。心は少しずつ離れていたのに。なのに。もう。慶介が帰ってこないことを、認めたくなくて。
「この家、もう競売にかけられて買い手が決まったんです。だから。俺、本当はここに」
「────そっか……」
「すみません」
この家は慶介のものだった。次の買い手がついてしまったなら、私は出て行かなくてはいけない。ここから、私は、どこへ行こう。
どこに行ったらいいのだろう。
「和泉さん」
染谷が、私の手を取った。
「それで、もし、行く当てが無いなら俺と一緒に来ませんか」
「え」
「俺のために歌ってくれると嬉しいんですけど」
不謹慎なのは承知です。そうやって笑う染谷は嘘つきだ。だけど、きっと、私を思ってくれている気持ちに嘘はないだろう。
信じていいの。
嬉しいのか悲しいのかよくわからないのに、なんだか泣けてきた。
慶介。ごめん。ごめんね。
やっぱり私はもう、好きの気持ちが少なくってた。この胸は空っぽで、だから泣けなかったのだ。それが悔しくて、情けなくて、薄情な自分を認めるのが怖かった。怖かった。
「……雨、止むまで考えさせて?」
答えは大体決まっているけど、せめて慶介にさよならの思いを込めてあの雨垂れの向こうへ黙祷を捧げよう。
さよなら、慶介。
ごめん、ね。
目を閉じる。
外ではまだ、ばたばたと音を立てて雨が降り注いでいる。
───ああ。きっと。私の代わりに、空が泣いてくれてるのだ。
そう思ったら、ふいに何かががゆっくりと頬を伝い、床に落ちた。
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