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前編
あれは確か、寂しい冬の季節だったと記憶している。
鉛色の空に松の黒い翳が染み、時折身を切るような寒風が吹きすさぶ、海辺での事だった。水気を吸ったぼたん雪が空から垂直に落ちては波間に溶け消える、そんな日だ。ざざぁん、と波が吠え、それは海原の泣き声なのだと気付いたのも、さあ、その日の事だっただろうか。
今でこそ家庭を持ち、愛する妻と我が子を慈しむ日々を送ってはいるが、当時私は身に余るほどの恋に悶えていた。
それはたった一冬の間に終息してしまった恋ではあったが、今も当時を思い返してはなんとも言えない、甘酸っぱくも苦々しい記憶を思い起こしてしまう。それほどまでに強い恋情に駆られ今もこうして反芻してしまうのは、生涯初めての恋であったせいなのか、それとも結局想いの丈を当人に告げられなかったせいであるのか――。
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