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欠けた茶碗を流しに出し、昌平は珍しくそれらを洗うとそっと厚手のコートを着た。電車を乗り継いでデパートに行くときだけに着る、一張羅のコートだ。高くもなければ良いものでもないが、これが昌平の持つ一番上等な服であった。ジャージを脱ぎ、窮屈なズボンを履く。履きなれないせいでどうも気持ちが落ち着かない。胡乱な目で一部始終を見守っていた母親が何かに気付いたのか、途端目を丸くしたかと思えば静かに笑い、一杯の熱い番茶を差し出してきた。女の勘というのは凄まじい。おそらく昌平が恋人と待ち合わせをしているのだと勘付いたらしい。正確には、恋人でも無ければ、直接言葉を交わした事もない男と待ち合わせているのだが。
なんだか申し訳ないような気持ちで湯呑を受け取ると、何度か息を吹きかけてから一気に呷った。熱い茶が器官を通り、少し落ち着けたような気がする。
昌平はあたたかさの残る湯呑を返すと真っ白のズックを履き、そろりと玄関から出た。
途端に香る夜の潮風に、小さく鼻を鳴らした。思ったよりもずっと冷たい夜だ。田舎の夜道というのは、危ない。懐中電燈を下げる事も忘れているほど、昌平は切羽詰まっていた。
集会所の横を抜けようとしたとき、折しも扉が開いて中から渡来がひょこりと顔を出した。
おお、とも、ああ、ともつかぬ声を互いに出し、はにかみ合う。そういえば今夜は渡来の祖父の七回忌だとかで、親戚の者らと集会所を借りて宴会をしているとの事だった。昨夜同じ場所でその話を聞いていたのに、すっかり失念していた。
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