13人が本棚に入れています
本棚に追加
薄灰色の雲に覆われた空からはかすかに雪が舞っていて、冷たく横たわるH湾をより一層冷たく冷やすのだろう。きっとからりと晴れた日には、この雄大なT海岸の景色がうんと美しく映える筈だ。
彼はまるで海の向こうに何かを透かし見ているかのような眼差しで、ただひたと眼前を見据えていた。潮風に煽られる、この寂れた漁村では珍しい、長めに伸ばした髪が朝日を浴びてほのかに艶めいていた。薄い唇の間からやわらかな綿のような白い吐息が吐きだされるたび、昌平の純情はぼんやりと揺れた。頭の芯からぼうっと立ち眩むようなこの感覚は、昌平のまだ知らぬ感情を確かに揺らしていた。
家路に着いたその足で、おしゃべり好きで社交的な母親に、海岸にいた例の青年の事をさりげなく問うてみると、彼女はあっさりと、最近引っ越してきたハスミさん家のチドリ君ではないか、という情報をもたらしてくれた。謎めいた雰囲気を湛えていた青年の情報をこうもあっけなく開示された事に少々肩すかしをくらったような気がしたが、昌平の頭の中はチドリ青年の事ですっかりいっぱいになってしまった。
――――ハスミチドリ。
その名が妙な神秘性を持って昌平の胸を圧迫し続ける。
どのような漢字を充てるのだろうか、年齢は、などと考え出すとどうにも止まらなくなり、その日の夜は悶々と布団の上で転がる羽目になってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!