前編

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 昌平は指先で砂を弄びながらぼんやりと波の声を聞き、ふと顔を上げ、小さく声を上げた。砂に足を取られながらまろびつつ、少し離れたところでしゃがみ込むと、声も無く息を詰めた。     『ありがとうございます。  あなたはこの近くの方なのですか?  ぜひ声をかけてください。 茅鳥』    その夜、昌平は村の漁業組合の飲み会の席であまりにも上の空で破顔してばかりいるものだから、男衆に散々もて囃されたのだった。小さな集会所は酒を呷った男たちの熱気と、かっかと燃えたぎる石油ストーブの熱気で常夏のようであった。  昌平は浮かれた気持ちのまま、組合の中では歳の近い渡来瞬に、思いきって想い人が出来た旨を語ってしまった。あまりの嬉しさに、誰かとこの幸福感を共有したくなったのだろう。もちろん気恥かしい海辺の恋文や茅鳥の素性などは全て伏せた上で、想い人に話しかけたいが上手くいかないというような事を十分、二十分もかけて滔々と語り明かした。  しきりに額を拭いながら熱心に語る昌平を笑いもせず、渡来はうんうんと細かく相槌を打ちながら、ほんのりと若い頬を染め、思い切ってなにふり構わず話しかけてみてはどうかと進言してきた。なんでも、渡来も最近になってようやく恋に目覚めたようで、甘い夢にまどろむように、とろけるような桃色の目尻を下げながら恋がいかに人を変えるのか、という事を逆に諭してきたのである。     
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