ある天才視点

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ある天才視点

俺はかつて、天才と呼ばれていて、そして今はもう天才では無いらしい。 研究者として第一線で活躍している自覚はあったし、研究資金も潤沢にあった。結果も出していた。 けれど、俺は事故に遭ったらしい。 らしいというのは全く記憶にないからだ。 兎に角その事故で俺は天才では無くなって、誰も相手にしなくなった。 といっても実感はない。 けれど、事実、俺の研究室は存在してはおらず、周りの人間はよそよそしい。 馬鹿にしてくる奴も多かったし、憐れんでくる奴もいた。 けれど、友人で同じ研究所に所属していた佐伯は相変わらずだし、今までどおり論文は書けている。 それとも、書けていると思っているのは俺だけで実際には酷いものなのだろうか。 佐伯にそう言うと 「じゃあ、論文を発表してみればいい。 どうせ、俺がなんて言おうがお前は信じやしないだろう。」 と言われた。 何故かはわからないが、とても困ったみたいな表情をしていた。 それは、俺の論文がもはや意味の無いものになっているからだろうか。 果たして、俺の発表した論文は絶賛された。 直接誰かに言われたのではないので、気を使われてのことでもないし、思い込みでもないだろう。 記憶を失っている時期があったというだけで以前と変わらない。 なのに、佐伯のあの困った様な笑顔が忘れられないのだ。 「なあ……。」 再び研究室をあてがわれた俺が佐伯に問いかける。 何を聞いたらいいのかは分からなかった。 こういったジャンルの能力はあまり高くは無い。 「……俺が天才に戻って嬉しいか?」 結局聞いたのはそんな内容だった。 佐伯が唾を飲みこむ音が聞こえた気がする。 彼はしばらく黙った後、相変わらず困惑した笑顔で 「友人としてまた一緒に仕事を出来るのは嬉しいよ。」 と言った。 その言葉には嘘が無いように見えたが、やはり困り笑いをしていたしその理由は分からなかった。 物事を理解できないなんてことは滅多に無いし、この分からないという状況がただひたすら不安だった。 佐伯に聞けば分からないことが氷解するのだろうか。 ただ、目の前でPCに向かって入力作業をする友人を、眺めた。 誰かに何かを教えて欲しいと願うのは、ごく小さい頃以来だなと漠然と思った。 けれど、それが不快でないことが不思議でたまらなかった。
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