春浅い日

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 レモン好きな彼のために朝からレモンの皮をすりおろしたり、手間隙かけてレモンパイを焼いていたのだ。オーブンから流れてくる甘い香り。穏やかな時の流れ。髪を後ろにひとつに束ね、美味しいのひとことが聞きたくてケーキを焼く。りさ子の心は二十年の時をこえて、高校生の時の自分となんら変わりはなかった。若かりしころに戻ったようで嬉しかった。女友達と出かけるとうそをついた家族にはもうしわけなかったが、ケーキを仕上げるとシャワーを浴び、入念にお化粧をした。洋服は派手すぎず地味すぎず、齢を重ねて丸みをおびた身体をやさしく包むピンクのブラウスに黒のパンツスーツを選んだ。  人ごみの中、運よくわりと広いイタリアンレストランがあり、店員に聞くと  すぐに入れるとのことで、二人はそこへ入った。赤いワインで電話ではない本当の再会を祝った。元彼との二十年ぶりの再会。話は尽きることがなかった。  「文芸部に有田くんっていたよね。」  「あ、いたいた。確か瀬戸内海に浮かぶ小島から通えないからって、一人暮らしをしていたよね。」  「そうそう、そうだったね。それにしても女子の体育の先生は厳しくて、僕ら男子は気の毒に思っていたよ。」  「ほんま、厳しかったわ。倒立前転をマットの上でしないと卒業させないっていうんだもの、私、家で布団を敷いて必死で練習したんだよ。背中が痛くて痛くて、、、、。もう背中じゅうサロンパスだらけだった(笑)」  「悪いけどその話、ウケる!」  昔話をすると、当時のことが鮮やかに蘇る。若返る。  「デートで運動公園に行ったよね!」  りさ子が聞いた。   「そうだったかなあ、、、。女の子は物覚えがいいよね。」  「りさ子さん、好奇心旺盛なくせに臆病なところ、昔と全然変わっていない。」  厳しくてつらい現実から逃れられるような楽しい3時間はあっという間に過ぎていった。イタリアンレストランからカウンターバーに席を移し、今度は田島が仕事の話をした。大きなプロジェクトを任されているらしく、田島のことで頭がいっぱいなりさ子とは対照的に田島は自分の仕事について熱く語り出した。  ワインで心地よく酔い、りさ子は話に熱中する彼の横で、時にうなずき、時に笑い、時にがんばれとガッツポーズをしてみせた。  翌日も仕事がある田島は、お酒を控えめに飲んでいた。
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