狼少年か。否、

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 実際に男は、幼少期親や教師から叱られた事がなく、友人から罵倒された事もなかった。  否、此れだけでは全く持って適切とは言い難い。其れこそ嘘もいいところ、と言った所か。  無論、男は聖人君主でもなければ、絵に描いた様な優等生でもなかった為、人並みに親や教師に注意され、時には怒られた。友人とは其れなりに喧嘩をした。  欠点を指摘され、喧嘩の過程で幾つかの罵倒を浴びて。  其れでも男の事を大人はこう評価した。正直者で、嘘は吐かない子だと。  思い付く限りの罵倒は互いに交し合った仲の友人達でさえ、1度たりとも男を嘘吐きと糾弾した事はなかった。  男が嘘を得手としていたのは、先述の通り。“幼い時分から”である。  即ち、友人も、教師も、親も、其の他男と関わった様々な人間達は、男に“騙されて”いたのだ。  嘘が得意というのは、つまり、こういう事。露見しない。誰にも嘘だと悟らせない。其れを完全に真実だと思い込ませる。或いは他愛もない雑談程度の情報だと、錯覚させる。  つまり男が長けていたのは、そうした能力であった。  嘘を得手。言い方を変えれば口が上手い、と言ったところか。  誰もを欺き続けていた様な幼少期、少年期。そして今も尚、欺き続けている様な現状。  もしも男の行為に気が付いた、良心溢れる善人が居れば、恐らく男に問うのであろう。“お前の心は痛まないのか”と。  男の答えは単純明快。痛まない。  嘘が嘘だと露見せぬ限り、相手にとって其れは嘘ではない。露見せぬ嘘は、ともすれば真実でさえあるのだ。  だからこそ男は嘘を吐く。己が心得ている、嘘を吐く際の手法を駆使し。  其の場に見合った声音で、しゃあしゃあと虚言を重ねていった。或いは男であれば1流の詐欺師さえ狙えるだろう。もっとも幸いな事に、男には詐欺師を目指す腹積もりが一切無いが。
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