白い部屋、起床。

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 果たして男の嘘に女は戸惑いを感じる事なく、自分の手元にあった布団を掴む。やはり長期に亘る昏睡の所為か、或いは其処に多少なりとも女の心情は影響しているのか。布団を掴む力は酷く力無く、弱々しい。眉も垂れ下がってしまっている。  布団を掴む手は昏睡時間を表すかの如く細くやつれており、白で統一された室内に居ても尚、明確に分かる程白い。 「私、何も覚えてないの。……ごめんね、恋人の事まで忘れちゃうなんて」 「気にしなくて良いよ。今は体の方が大切でしょ?ゆっくり休んで」 「で、でも……」 「思い出なら、またゆっくり作っていこう?ね?」  此れが本当の恋人同士であれば、さぞかし絵になっていただろう。小説や映画等で有りがちな、感動の1シーンの再現である。  しかしそうなるのも彼等が本当の恋人同士であった場合のみであり、此の場に於いていけしゃあしゃあと男は己の特技を発揮した。即ち、己が立場を恋人であると詐称した。  其の事実が加われば、感動の1シーンは途端きな臭い物へと変貌する。愛を持って困難に立ち向かい支え合う男女の恋物語は、ミステリやサスペンスへと方向を転じ、恋人を想う男も怪しげなストーカーへの早変わりさえ果たすやもしれぬ。  本当の物語であれば其のストーカーは美形で優れた探偵に犯行を暴かれ、捕らわれのヒロインはいずれ其の探偵と幸せになるという後日談迄据えられたミステリ小説、といったところか。  事実は小説より奇なりという言葉が存在する様に、予想だにしない事象へ直面する事もあるだろう。しかし、あくまで現状、男と女が存在しているのは現実である。活字で飾られた小説の世界でもなければ、映像で彩られたドラマの世界でも無い。  其れ故男はストーカーで裁かれる事もなく、女の前に美形探偵の救いの手は伸びてこない。  そもそもストーカー扱いを受ければ男は、さも心外だとばかりに否定するだろう。得意の虚言を紡ぐ際意識している一切の手法も投げ打って、心底から不快だとばかりに。
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