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 明治○○年の事にございます。斯く云う悲しき恋の物語が在りました。否、悲恋と一言で申せば、その様な状態ではありますが、これは或る一人の若者の失態、至極自分勝手な恋路なのであります。  M県S市と敢て、場所の特定は致しません。深い意味?深い意味は特にないのですが、これから語る物語は、誰の心にも大なり小なり持ち合わせているであろう為に、場所の限定をしてしまうと、イメェジが付いてしまうので、そこは避けておきたいのです。  然しながら、ここで人物の特定はしなければいけません。そうでないと、話が始まらないのですから。  貴方様は、日野里子という女性をご存知でしょうか?恐らく知り得ないと思われます。 彼女は有名大学を出た後、小説家として、デビュウしました。当年十九歳でした。  聡明で美人で淑やか。正に絵に描いた様なお人でした。  そんな彼女を一目みようと、近所の野次馬衆が挙って群がる程でした。男共は、いつも髪を結い上げ、和服を着ている彼女を、芍薬の花のように例えるのです。  或る時などは、こんな椿事が在りました。彼女が小用で書斎を離れた隙に、事もあろうに書きかけの原稿が盗まれてしまったのです。犯人の足は付かず仕舞いで、彼女は、泣く泣く盗まれた箇所を書き直したのです。  日野里子の小説は大衆受けはよかったのですが、そう後世まで読まれる程ではありませんでした。  女流作家というのは、男性作家よりもどうにも日の目を見る人が極端に少ないのです。 「にごりえ」や「たけくらべ」で知られる樋口一葉、「みだれ髪」の与謝野晶子、「わか松」、「勇み肌」を書いた木村曙などは有名だが、どうにも女流作家の陰が薄いのが、文学界の歴史です。  まさに彼女は不世出の作家なのです。  おまけに日野里子は、二十一という若さで、この世を去ったのです。 「美人薄命」とはよく云ったものです。  一時彼女が姿を消したとき、様々な憶測が男衆の間で持ち上がりました。  やれ失踪したのではないか。厭々、死んだのではないか。はたまた、美しいおなご故に、どこか遠い国に帰ったのではないか。  而して、現実はあまりにも悲惨なものでした。日野里子は、人知れずこの世を去ったのです。  さて、ここからが本筋であります。  これをこそが悲恋と銘打ったものの筋流れなのであります。而して、聞くものによっては、解釈の分かれるところでありましょう。
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