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 I君が書生として、日野里子の家に来てから、季節が一巡しました。相変わらず、I君は、日野里子の家政婦をしておりました。否、家政夫ですね。  そして、狭山合掌との夜毎の愛欲は、これも変わることはありませんでした。昼間は執筆、夜間は性の艶かしい行為に勤しむのです。  I君としては、どちらの日野里子も好きでした。胸の中にもういっこの感情があり、それが今にも暴発しそうなほどに、はちきれんばかりに大きくなるのです。それだけ巨大な感情がありながら、未だに恋文が出せずにいるのです。  嗚呼、貴女を想う気持ちは誰にも負けないのに。そう、狭山合掌にも負けない。  なのに、I君の性格上踏み込むことができないのです。狭山合掌に気持ちの上で勝てても、物理的には勝てないのです。  もどかしい?そう、もどかしいのです。自分では抗し難い心の機微なのです。  嗚呼、自分はなんて不幸なのでしょう。山の頂が目の前にあるのに、頂上まで上れない感じ。空腹でありながら、美味しそうな料理を目の前に、まるで手の届かない感じ。  それ自体が蜃気楼のようです。砂漠の中で突然街がみえるという、怪現象であります。  日野里子の存在が、何かの現象ではないか。I君の妄想は広がるばかりです。  そんな折、日野里子がいつものように、狭山合掌と裸で抱き合っていると、天井方から、誰かに見られている気配を感じたのです。 「あれ…」  日野里子は、視線を上げて、指を指します。細くしなやかな人差し指は、天井を示します。 「なんだ」  狭山合掌が起き上がり、言いました。
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