2.過去

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2.過去

「──なあ、そんなに難しい顔していっつも何読んでんだ?」  不覚にも、この長い長い腐れ縁のきっかけをつくってしまったのは、ほかならぬ周防の何気ないひと言だった。  もし、今、タイムマシンがあるのならば、あのときの自分をどんな手段を使ってでも全力で阻止するだろう。あの日、あのとき、あのひと言さえなければ、その後、十年にもわたる苦痛と懊悩にまみれた安積との奇縁に苛まれることもなかったのに、と。  けれど、もちろん、そんな都合のいいものが現代に存在するはずもなく、また、当時高校生二年生だったおのれにそれと言い聞かせたところで、反抗期真っ只中だった自分がその忠告を素直に受け入れたとは、周防自身とうてい思えない。  さらに悪いことに、この日の周防は、いつもより大分くさくさしていた。  数日前、せっかくいい雰囲気にまでこぎ着けた一学年先輩の女子にやっぱり無理、とあっさり振られ、持て余した放課後の時間を、そのときたまたま目の前にいたクラスメイト相手にうっぷん晴らしをしてやろうと目論んだ結果だった。  突然、うえから降ってきた問いかけに、安積という名前の編入生がふと、手にしていた文庫本から顔を上げる。初めて見たときにも思ったが、この海辺の町にはそぐわない白皙の美貌のなかで、それとは対照的な、虚(うろ)のように感情の読めない黒い瞳が周防を認めてわずかに揺れた。  ──父親の転勤で一学期の途中から編入してきた彼は、この辺りの言葉で表現するならばまさしく「よそもの」だった。
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