3.現在

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 入院した早奈英の不在を埋めるために、周防が調理師免許を持つ安積を助っ人として紹介して、何とか急場をしのいだことを思い出す。そのとき、ペンションに宿泊していた大学生グループのひとりが急性アルコール中毒で病院に搬送されたことも、今となっては懐かしい夏の日のひとコマだ。  ──ただ、安積にとっては、必ずしもそうではなかっただろう。  あのとき、くだんの大学生に適切な処置を施したのは安積だったのだと、のちに柾がこっそりと教えてくれた。そのとき、彼がいったい何を考えていたのか。同じく酒の力を借りて、胸にわだかまるその澱のような絶望から這い上がろうとあがいていた高校生だったときの自分自身のことか。 「……なあ、芦沢」  その嘘のない笑顔を見ていたら、ふと、訊くつもりのなかった問いが無意識に口を衝いて出ていた。 「後悔してないか。その、……あいつと、井上と会ったこと」  それまでの自分の何もかもを変えてしまう存在に出会うこと。まったく知らない世界へ足を踏み出すこと。    それは、その瞬間、同時にもしかしたらありえたかも知れないほかの人生を、永遠に失うことにならないのだろうか。    ──たとえば、周防に、安積と出会わないもうひとつの人生があったかも知れないように。 「……ミヤ先輩?」 「……いや、悪い。変なこと訊いて。ばかだよな、そんなことあるわけないのに。忘れてくれ」
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