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 そんな風土来歴の関係もあり、昔からこの近辺は、料理の味付けが濃いことでも有名だった。いわゆる漁師めし、地域によっては沖あがりと呼ばれるもので、深夜から早朝、漁に出た人びとの労をねぎらうために、エネルギーの主体となる塩分や糖分を多く含んだ食事が供されたのが起源とされている。  その例にもれず、周防の家でも、昔から食事と言えば、今は亡き母親がつくる砂糖と醤油をふんだんに使った料理だった。それを特段、不満はもちろん疑問にも思わず、ただ黙々と口に運び、それを糧に健やかに成長していった。  ──だから今から十年前、この家で初めて安積がつくった食事を口にしたとき、まず最初に思ったのは、こいつ味付けするの忘れてないか、という今から思えばかなり間抜けな感想だった。  実際、それまでの濃い味に慣れてしまっていた当時の周防の舌に、出汁本来の風味を大事にする安積の料理は、文字通り何とも味気なく、そして同時に物足りなさを感じさせるものでしかなかった。  それなのに、今ではこうしてすっかり彼の料理にほだされてしまっている自覚があるだけに、出汁巻き卵を頬張りながら周防は内心で歯噛みする。世間では、男を落とすにはまず胃袋を掴め、などという俗説があるが、まさにその言葉を地で行っているようなおのれの現況が情けなくも悩ましい。  こんなことで今朝のことが帳消しになると思うなよ、と今はここにいない安積にせめてもの反発心を込めて、周防はつやつやとひかる白飯をかき込んだ。 「……あれ、カンナのやつ、どこ行った?」
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