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「……安積……」
「……何で、あんたがここに……」
けれど、信じられないのは相手も同じだったようで、珍しく動揺もあらわに安積が周防を見つめて呆然とつぶやく。そのすがたを見たとたん、胸にこみ上げてきた衝動にまかせて、周防は彼が開きかけていた小さな個室のドアの向こうに、捉まえた安積の身体ごと一緒に飛び込んだ。
「……周防、何でここに……え、そもそも、何で俺がここにいるって……」
「……いいから少し黙ってろ」
混乱の極致にいるのか、抗うことも忘れて饒舌になる安積の身体を、もう離すまいと懸命に腕のなかに閉じ込めて周防はささやく。乱れた呼吸が、互いの速い心音が、触れた身体越しに伝わってきて、今、確かに彼がここにいることを周防に教える。
──かつて、安積のなかに垣間見た深淵。あのとき、周防が本当に怖かったのは、彼と一緒ならば、おそらくともにどこまででも落ちていくであろう自分のすがたまでもが想像できたからだった。それはこのうえなく甘美な誘惑で、彼を救い上げるどころか、ともすれば、そのままずっと安積とふたり、そこで永遠に暮らすのも悪くないとふと錯覚してしまうほどだった。
けれど、そんな子どもの幻想じみた時間はもうおしまいにしよう。安積のために、そして何より周防自身のために、十年前から止まったままだった互いの時計の針を、今こそ動かすべきときが来たのだ。
「……帰ろう、安積」
「……周防……」
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