2人が本棚に入れています
本棚に追加
店内に入ると、予想以上に高級そうで、おれはそうとうびびった。サービスマンにコートを預けながら、よくこんな店を予約したなと驚き、その代金は自分が払うんだと気づいて、もっと驚いた。出費を計算しようとして、あきらめた。おれの想像をはるかに超えていた。
サービスマンの親玉みたいなのが現われ、慇懃に挨拶した。おれたちを席に案内しながら、「お連れさんがお待ちです」と柔らかな表情を向けた。
お連れさん? おれは意味がわからなかった。
奥まったテーブル席の横には、見覚えのある女性が立っていた。黒いドレスに赤い首飾りが映え、唯ちゃんそっくりの笑顔で頭を下げるんだ。
おれはわけもわからず、自分の席についた。さしむかいには、唯ちゃんとその二十年後と見まごうばかりの女性が座っていた。彼女のお母さんだ。
「裕子の母で、天野唯といいます」
と自己紹介をして、母親のほうが会釈した。
「えっ」とおれは、ずっと唯ちゃんだと思っていた相手に視線を向けた。
「娘の裕子です」と彼女が頭を下げた。
そのときはじめて自分の勘違いに気づいた。唯というのは母親の名前で、彼女の本当の名前は裕子なんだ。
おれは店で、最初に唯ちゃんの名前を聞いたときのことを思いだした。あのとき彼女は、「天野唯といいます」とお母さんの紹介をしていたんだ。母親にたしなめられていたのは、娘のそんな勝手な行為に対してだったと、ようやくわかった。
最初のコメントを投稿しよう!