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父はどのようにして魚肉ソーセージで凶霊と戦ったのだろうか
私が関西の会社に転職してから、初めての帰省だった。
おかあさんと二人、一泊二日の温泉旅行に出かけた。
親への感謝のプレゼント、それほど多くもなく少なくもない私の給料、
予算的に布団の上げ下ろしが不要の洋間、一部屋ごとの食事の配膳がいらないバイキング形式のホテルとなった。
それでも過剰で悪趣味な装飾が無い居心地の良い部屋、大浴場、
ホテルは快適だった。
おかあさんは売店で魚肉ソーセージを探していた。
動物のお肉の代わりに魚肉をつかったソーセージ、本物のソーセージにくらべて値段がとても安い。
日本が貧しかった時代は良く食べられていたらしいが、昨今はスーパーマーケットなどで棚の隅っこに追いやられている。
おかあさんはなぜか魚肉ソーセージが大好きだった。
「おかあさん、近所のスーパーマーケットじゃないんだから、ホテルの売店に魚肉ソーセージなんて売ってるわけないよ」
「それも、そうね」おかあさんは売っていないとわかっていても探していたと思う。
「ねぇ、これ地元で狩猟した野生動物、ジビエのソーセージだって、添加物無しだって、これ買ってみようよ」
「そうね」気の無い返事が返ってきた。
おかあさんとホテルの部屋でのさし飲み、
売店のワインとジビエのソーセージ、味は期待をわずかに上まっていた。
酔いがほんのり回ってきた。
おかあさんは旅行鞄から魚肉ソーセージを取り出した。
自宅からわざわざ持ってきたようだ。
「ちょっと、おかあさん、ホテルにまで、わざわざ魚肉ソーセージ持ってくることないでしょ」
「でもねぇ、これが好きなのよ」
娘としてはこれ以上もう何も言えなかった。
おかあさんは魚肉ソーセージを食べる時に奇妙な癖がある。
ソーセージのフィルムを取り外して、愛しそうにぶらんぶらん軽く振りながら豪快に食いちぎる、
子供の頃、それを真似したら怒られた。
それは大人じゃないと食べちゃいけない食べ方だと誤った知識を教え込まれた。
「おかあさん、本当に魚肉ソーセージ大好きだよね~」
今まで何百回も繰り返してきた質問。
でも、今夜のおかあさん、酔いも手伝っていつになく饒舌だった。
「魚肉ソーセージはねぇ~おとうさんが若いころの思い出なの」
「えっ若いころのおとうさん??」
話題がいきなり自宅で留守番中のおとうさんのことになった。
おとうさんは世間一般の「おとうさん」とは異なり、スポーツ中継に一喜一憂することもなければ、職場の付き合いとかで酔って帰宅オヤジギャグを連発することも無かった。
小さいころからのおとうさんの思い出は、いつも分厚いロシア文学の本を静かに読んでいる姿だった。
それでもおとうさんの傍らに寄り添えばカラマーゾフの兄弟や悪霊などの中から、子どもが喜びそうなエピソードを静かな口調で面白おかしく話きかせてくれた。
繊細で知的それでいて優しい、永遠の文学青年のようなおとうさん、私の理想の男性像だった。
おとうさんとおかあさんは恋愛結婚だったと聞く、
だとすると、あのドストエフスキーオタクのおとうさんはどのように母を誘って口説いたんだろう、
ワインの酔いの勢いも借りて、母に直球勝負で尋ねてみた。
私もこの年になり脛や胸に傷の一つや二つ残っているし、返り血を浴びたことも二度三度、
おとうさんとおかあさんの若いの頃の生臭い話を聞いてもへっちゃらな年頃となっていた。
「おかあさんねぇ、昔、大ピンチで危なかった時におとうさんに助けてもらったことがあるのよ」
「おとうさんねぇ、とっても頼もしかったのよ、全部、やっつけちゃったんだから」
おとうさんを表す形容詞として、繊細、知的ならおおいに納得できる。
でも、頼もしい、やっつけるというのはおとうさんのイメージ像とはほぼ対極の位置にある。
おとうさんがヤクザかヤンキーをぶちのめしておかあさんを救った、、、
そんなことは絶対にありえない、起こりえるはずがない、。
おかあさんは話しはじめた。
相変わらず手に持った魚肉ソーセージを食べることはせず、ぶらんぶらんさせながら…
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