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仕事を辞めた時に世話になってしまった負い目が未だにあるので、自分にお金を使うのは止めて欲しい。しかも、三十路過ぎの男がこんなものをもらってどうしていいのか分からない。
「着ないんですか?」
「着ないです」
「花火とかに着て行けばいいじゃないですか。美郷さん、白似合いそうですね」
「花火なんか行くことないですよ」
一人で浴衣を着てそんな場所に行くなんて考えられない。尚晴は橘を送り出すため、一緒に玄関に向かった。
「美郷さん、人ごみ嫌いですよね。うちは、両親が着物とか好きなんで、俺も浴衣だけで五着くらいありますよ。確かに、そんなに着ることはないですけど」
土間で靴を履く橘の背中を、尚晴は不思議な気持ちで見詰めた。男の自分から見ても、広く大きな背中だ。昔、家を出て行く前日に、寂しさのあまり抱き付こうとして拒まれた義兄の背中よりも大きい。振り返った橘に、トーストを入れた袋を手渡した。
「ありがとうございます。なんか、アメリカのドラマに出てくるランチみたいですね」
「本当ですね、言われてみれば」
体格がいいアメリカ人のランチが、サンドイッチだけというのは未だ不思議に思う。尚晴がクスクス笑っていると、橘に腕を撫で上げられた。
「行ってきます」
茶目っ気たっぷりに、橘は口角を上げる。
「……行ってらっしゃい」
尚晴は夢を見ているような気持で橘の背中を見送った。
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