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二、
ふと気付くと、彼女は自分の部屋にいて、折りたたまれた薄い紙を握りしめて座っていた。
到着した彼の両親と会った記憶はあるが、なにを話したか覚えていない。どうして自宅に帰ってきたのかもわからない。
だが、看護師に呼ばれて行った先で、緑色の術衣を着た医師から聞いた話だけは鮮明に覚えていた。
「脳へのダメージが深刻です。遅かれ早かれ脳死状態になる可能性が高いでしょう」
それを聞いてからの記憶が曖昧で、考えても考えても思い出せない。
彼女は、手にしていたクシャクシャの紙を広げてみた。
『婚姻届』
焦げ茶色のインクで印刷されたその用紙には、彼の筆跡でサインがしてあった。断片的な記憶がよみがえり、看護師から渡された彼の手荷物の中から見つけたのだと思い出す。
涙があふれた。
「やっぱりプロポーズしてくれるつもりだったのね……」
彼女は床に突っ伏して慟哭した。
ひとしきり泣いた後、病院から何か連絡でも来ていないか気になり、彼女はバッグを探ってスマホを取り出した。
「着信もメッセージもなし、か」
今のところ容態の急変はないということだろう。ホッとして、彼女は立ち上がった。彼が用意したサイン済みの婚姻届は、大切にしまっておかなくてはならない。
クローゼットをあけ、カギ付きの引き出しに手をかける。
「きゃっ!」
次の瞬間、彼女は短い悲鳴を上げた。
あの汚れたスマホが、そこにあった。
赤い画面に白い吹き出しのメッセージを表示している。
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