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確かに、今回のように白縫を騙して蒼馬の首を狙った者はいた。山賊が商人やその荷物を狙って襲うとも聞いた。けれど、それが下等であるとか侮蔑すべきだとは白縫には思えないのだ。
蒋子なら、父の真意を何か知っているのではないか。あの聡明な父が人間に対して、異常な程の憎しみを抱いている理由がわからなかった。
「もう、昔の話だ。……俺から聞いたって言うなよ?」
念押しした蒋子は茶目っ気たっぷりの顔で笑った。もちろん、父に話したりしない。誰にも言うつはりもない。
「まだ龍神が白縫みたいに、龍神の子だった頃の話だ」
ぽつりとそう言った蒋子は、側にあった切り株に腰を下ろした。そうして酒を一口飲むと、語り始めた。
「龍神には大陸のある村に、人間の姿で何度か訪れていたらしい。ある村人と恋仲になり、龍神は龍宮を捨ててそいつと夫婦になりたいと思った。そいつも龍神を好いていて、夫婦になることを約束した。だがそいつにある豪族との結婚話が持ち上がった。自分は故郷を捨てるから、お前も捨てろと龍神はそいつに迫った。けど、そいつは金に目が眩み、豪族と結婚したんだ。怒った龍神は結婚式を滅茶苦茶にして、そいつは村から追放された」
あれほど人間を憎んでいた父が、かつて人間に恋をしていたとは驚きだ。裏切られた絶望はいかばかりだっただろう。可愛い息子を自分と同じ目に合わせたくないと、親心からの戒めだったのだ。父を哀れだと思うが、白縫が同じような思いをするとは限らない。もう一人前の龍なのだ。もっと信用して欲しい。
蒼馬とはこのような結果になったけれど、悲しいとは思っていない。恨みなんてさらさらない。
「私は人間が好きです。父の教えに反することになりますが、それでも人間が好きです」
「だろ? だから言っただろ? 人間、捨てたもんじゃねえって」
「はい」
蒋子と見合って白縫は、にこっと笑った。見てみろ、と蒋子が山頂から登る煙を指差して言う。
「魂が天に召されていくみたいじゃねえか。生きてくってことは、見届けるってことでもあるんだな」
しみじみとそう言った蒋子に、白縫は黙ったまま頷いた。
燃える山頂から空高く、黒々とした煙が立ち上っていく。それはまるで、この世に迷う魂が天に召されていくような、神々しさを覚える光景だった。
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