【 9 】

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【 9 】

 あの日、自分はどうかしていた。蒼馬の腕の中でおとなしく、彼の好きにさせていたことを認められず、布団の中でもんもんとした夜を過ごす羽目になった。  つい油断をして、ふぁあ、とあくびをする白縫に、多岐が心配そうに顔を向ける。 「随分とお疲れのようですが、あまり眠れなかったようですね。心配事でもあるのですか?」  多岐の鋭い観察眼にどきっとして、白縫は開いていた口を慌てて閉じた。蒼馬に対する感情が揺れていると、多岐に知られるのは非常にまずい。乳母である多岐は、白縫と蒼馬が仲睦まじく過ごして欲しいと願っている。そんなことになるはずはないしなりたくもないが、否定して、人のいい多岐をがっかりさせたくない。 「怪我が治ってからというもの、毎日のように出歩いているから疲れが出たのだと思う」  誤魔化すように、白縫は無意識に二階厨子に目を向けた。天板に敷かれているのは龍の刺繍が施された敷物だ。先日、城内にやって来た商人から購入したものだ。本当に欲しかった訳ではなく、あの時はそう言うほかなかった。蒼馬を欺くための苦し紛れの言い訳を、あの男は本気にしたらしい。  白縫がぼんやりと眺めていると、多岐が「美しい刺繍ですね」と言った。 「お館様が直々に持って来られたのですよ。白縫様がねだったのだとおっしゃって」  そうして多岐は思い出したようにくすっと笑った。 「わ、私は、ねだってなどおらぬ!」  多岐の盛大な勘違いに、白縫は思わず声を荒げた。蒼馬にしなだれかかったあの光景を、まさか多岐に知られてしまったのではと、白縫は気が気でない。  けれど多岐は「存じております」と微笑んだ。 「お館様がお産まれになった時からお仕えして参りましたが、あのように嬉しそうなお顔をなさったのは初めてでした。敵方の動きを予測することには長けておいでなのに、ご自分のお心にはお気づきにならない。見ていて微笑ましいのですが、振り回される白縫様にはお気の毒なことでございます」  物凄く恥ずかしいことを言われた気がするのだが、要領を得ない言いように、どう反応すればいいかわからない。複雑な顔で次の言葉を待っていると、格子窓の外から男達の低い歓声が上がった。 「多岐、あれは何? また戦が始まるのか?」  つられるように多岐が格子窓の向こうに目をやる。
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