【 9 】

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 この前のように、と添えられて、白縫はわっと声を上げて両手で顔を覆った。これ以上ないというほどの羞恥に、できることならこのまま消えてなくなってしまいたい気分だ。 「手をどけて、顔を見せろ」  蒼馬に優しい声で促されて、白縫はぎこちなく手を離す。そっと見上げると、自分を見下ろす黒い瞳が愁いを帯びて揺れている。魂ごと吸い込まれそうな漆黒を、白縫は綺麗だと思う。長い前髪が零れ落ち、すっきりとした目元を覆っている。余計なものを削げ落としたような蒼馬の頬を、手を伸ばして触れた。 「珠里(しゅり)」  思いつきで口にした名前に、蒼馬が「ん?」とわずかに首を傾げる。 「子猫の名だ。蒼馬が好きにすればよいと言っただろう?」  頬を撫でていた手を取った蒼馬は、その指を自分の唇に挟んだ。軽く噛まれ、じんと甘く痺れた。 「よい名だ。気に入ったのなら、連れて帰った甲斐があったというものだ」  膝に載せていた珠里が鳴きながら、ごそごそと動き回る。そうしてぴょんと飛び降りて、白縫がいつも座っている(しとね)の上で丸くなり、目を瞑った。どうやら珠里はここを住処に決めたらしい。 「たとえ猫であっても、俺以外に気を取られることは許さぬ」  不意打ちで唇を塞がれる。食むような口づけはすぐに深くなり、角度を変えて何度も舌を絡ませ合った。蒼馬との口づけは気持ちがよくて、酔ったみたいに頭がぼうっとする。  顔を見るだけで怒りが込み上げていたのに、子猫と甘い言葉に流されてしまった。理由はどうあれ、これまでに何度も蒼馬と口づけを交わした。けれど、蒼馬と触れ合うことは嫌いではない。  自分は蒼馬とどうなりたいのだろう。  どうすればいいかわからない。いくら考えても、何も思いつかない。  このままだと、父の教えに反することになる。父を裏切ることは絶対にできない。  口づけを解いた蒼馬が白縫の鼻の頭を噛んだ。 「白縫、俺といる時は他のことを考えるな。俺だけを見ろ」  さらうように抱き締められ、奪うように口づけられて、白縫の思考は遠いところへ追いやられた。
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