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「そっか」
妙にさわやかに言い放つと、
「実は、あたしもそう。ほんとは今日は遅番で七時までだったんだけど、どうしてもだめで。気分悪いって言って早あがりさせてもらったの」
七尾さんはペットボトルを口にあてて傾けた。薄いピンクの液体が泡立って光った。かなり身のおきどころのない気分だった。同じクラスだった一年間、ぼくは、七尾さんとことばを交わした記憶すらないのだ。なので、当時の七尾さんの印象といえば、雨に濡れた窓ガラスの向こうの景色みたいで曖昧にぼやけていて、ぼくがそうだということは、おそらく七尾さんにとってのぼくも同じ印象であるだろうから、彼女がわざわざぼくを誘った意味もわからないし、夢にすら見たことのないこのシチュエーションでどうふるまえばいいのか見当もつかなかった。七尾さんは、ペットボトルのふたをとても丁寧な手つきでしめると、小さくため息をついた。
「ダメなんだよね。あたし。学校もそうなんだけど、始めのうちは、何とかうまくいくのよ。でもね、ある日、急に、ほんとに急に気持ちが深く落ちこんで、粘土で固めたみたいに動かなくなるの。今回も同じ。そんな感じ。いつだって同じ。きっかけもわからないし、いつ来るかもわからない。中学は二年くらいもったけど、ケーキ屋は一週間だった。なんなんだろうね」
ぼくは、はっとした。彼女の言っていることと、自分の状況が似ているような気がしたのだ。七尾さんは手の中のペットボトルをじっと見つめて動かない。何か言ってあげたかったが、ぼく自身、自分のサボり癖に手をこまねいている以上、どう言えばいいのかわかるはずもない。
「ねえ、佐山くんって、人を殺したいと思ったこと、ある?」
びっくりして七尾さんを見た。彼女の全身からまるで別人のようにまがまがしい空気が放たれていた。
「心がかちかちに固まって、どうしていいかわからなくなって、何の脈略もなく、ふと思ったのよ。誰かを殺したいって。自分の手で誰かの命を奪えば、それくらいのことをすれば、固まった気持ちが溶けて動くんじゃないかって。別に誰でもいいの。誰でもよかったのよ」
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