解剖実習中の彼女。

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「喉をかっ裂くのよね」  なぜだか声が浮ついている。  声色は好奇心に満ち満ちているようだった。妙な女もいるものだと思ったが、どこか聞き覚えのある声だ。記憶を探ると浮かんできたのは、あの女性だ。太い黒縁の眼鏡、ごわついた髪、よれたチェック柄のシャツ、おどおどした目つき、だぼっとしたジャージのパンツ。  まさかな。心の中で呟いた。  実験担当の講師は、生理学系の研究室の准教授。  マウスの薬物代謝の研究をしているらしい。歳は五十は超えているだろうが、それよりは若い見た目をしている。  ホワイトボードに解剖図を拡大したものを張り付け、支持棒で指した臓器を当てさせる。各班の実験机を周り、自分が指した臓器を実際に指さしさせる。 「その臓器は何かわかる?」 「……、すい臓?」 「正解っ」  肝臓は独特の色をしているので、辛うじてわかる。しかし、その手の簡単に見分けがつく物は先に出てしまった。前の班に出されたすい臓なんか、名前さえ出てこなかった。これは自分の班に来たときは、相当な難問を出されるだろう。 「これは難問なんだけど」  講師は右半身。胃腸の下から顔を出す細長い臓器、赤黒いというよりほぼ真っ黒な色をしている。色からすれば、禍々しい肝臓か、血が固まったものかにしか見えない。僕を含めた三人が黙り込む中、手を挙げたのは僕がバトンを渡した彼女だった。 「はい、藍原あいはらさん」 「脾臓(ひぞう)ですか」 「正解っ」  僕の知らない臓器の名前を口走った彼女。藍原という名前、どこか聡明な響きだ。代わって、僕の名前は山下俊輔(やました しゅんすけ)。平々凡々とした響きだ。
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