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 麻酔が効くのを待つあいだ、高木邦正との会話を思い出していた。彼は穏やかな、そのくせ有無を言わさぬ威厳のある声で「誰にでもあるものだから、恥ずかしくありません」と言った。  確かにそのとおりだ。私はもう一度自分に言い聞かせた。嫉妬嚢は誰にでもある。扁桃腺や膀胱と同じようにひっそりと存在していて、ときどきウィルスに冒されたり、腫瘍をはらんだり、炎症を起こしたりする。  何度言い聞かせても恥ずかしさは変わらなかった。大酒飲みが肝臓を傷め、ヘビースモーカーが肺を病むように、私は嫉妬嚢をおかしくしたのだ。淀んだ精神の持ち主だと、喧伝してまわっているようなものだった。  高木邦正は私の傍らに立っており、手術用の大きなマスクや帽子で顔のほとんどを隠していた。それでも彼を見分けるのに支障はなかった。喉仏の尖ったかたちは、私の知っていた頃と同じように美しかった。  彼は私を思い出すだろうか。  そう考えた途端、脈が速まった。恥ずかしさに肩を縮めるとぶあつい服地が皮膚をこすった。手術を受ける患者は、検査着の下に何も着てはいけない決まりだった。  麻酔がきいてしまえば、検査着はあっけなく開かれて、高木邦正が私の体を見るだろう。乳房の下にならんだ二つのほくろや、朝顔の花みたいな浅いへそを見るだろう。それから私の肉を切りひらいて、嫉妬嚢を掴み出して。  そのどこかで、高木邦正は私を思い出すだろうか。名字の変わった私に、彼はまだ気づいていないようだった。もしかしたら、体を見たら。いや、期待するのはよそう。互いの肌を見たのはもう二十年近く前のことだ。あのときも彼は、「誰でもすることだ。恥ずかしくないよ」と言って私を頷かせた。
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