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化け物はそんな塔太郎の心情など知るよしもなく、まさるにさえも、一瞥しない。ただ下光比賣命だけに一応の敬意としてわずかに頭を下げたのち、
「では、さらばだ。――御機嫌よう。また遭う日まで」
と、長楽館の正門から堂々と出て、その前にある池へと飛び込んだ。
その様は今までの野性的な仕草から一転、嘘のように無駄がなく、紳士的である。
ただ、飛び込む直前。一瞬だけ振り返った化け物の表情は不敵で、濡れたように淫らな笑顔だった。
化け物によって割られた水面は大きく揺れ続け、やがて、完全な水鏡となって、化け物も消えた。
化け物が消えた後、長楽館は恐ろしいほど静かになった。塔太郎もまさるも警戒して動けずにいると、下光比賣命が池に近づき、夜空を見上げた。
「……無事、お帰りにならはったようやね」
安全を確認した下光比賣命は、細く白い手をぱんぱんと叩く。それを合図に令状がふわりと消えて、周りの喧騒も聞こえるようになってきた。
これを以てようやく、塔太郎達と化け物との戦いは幕を下ろしたのである。その勝敗は不明である。
しかし少なくとも、二十一世紀にもなった今でもやはり人間は神には勝てない事だけは、間違いなかった。
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